とある有志ごみ拾いの記録

ごみ拾いに行った際の記録と道中記です。

2024/5/3のごみ拾い記録

約七年間に及ぶ長い長い改修工事が終わって、
2023年11月3日より再開苑した、馬事公苑。


ゴールデンウィーク後半の連休の恒例行事、
「JRAホースショー」が帰って来ました。


ごみ拾いの道中で懐いてきてくれる、
散歩中のわんこも好きですが、
一番好きな動物は、何と言っても馬です。


(以前は犬種問わず、吠えられまくりでした。
こっちの何が変わったんだろう…
懐いてくるわんこは、小型犬が圧倒的多数です)


そうとなったら、行くっきゃない。
ブログ開始前の昨年12/10以来となる、
「馬事公苑への道程」を歩くことにしました。




4/13に歩いた「水ずくめ作戦」(笑)時の、
基点の反対側。ごみ拾いで欠かせない通りと化した、
荒玉水道道路が基点です。


↓4/13のごみ拾い記録



世田谷通りを渡って、荒玉水道道路の続きを少々。
例の「トン数規制」の看板があります。


左手側にはサミットとコジマが入った施設があります。
写真奥中央の箇所は交差点。そこを右折します。


4/21の道程で中途半端な?箇所が基点なのは、
この馬事公苑への道程のためです。


↓4/21のごみ拾い記録


地元から馬事公苑に行く際、一番簡単な道程は、
世田谷通りをひたすら歩く形です。
ただ、この形は4/28に歩いています。


↓4/28のごみ拾い記録


歩道の横断を除いて世田谷通りを歩く割合を、
如何に最小限に留めて、馬事公苑まで歩くか。
ない頭(笑)を使って考えた末に練った道程です。



砧公園の北側に面した美術館通り、
環八通りを横断して用賀七条通り。


馬事公苑の南側を歩いて馬事公苑通り、
公苑北側にある五輪愛馬通りと歩いて、
正面門から入苑。



メインアリーナで行われる馬術競技を観るのが、
今回の主目的。少し早く到着できたので、
はらっぱ広場の芝生上に、寝転がって(笑)休憩。


芝生が青々となるのは、もう少し先でしょうが、
寝転がるには十分な感触。靴と靴下も脱いで、
少々アーシングも。気持ち良かったぁ。


行楽日和の絶好な陽気もあって家族連れが多数。
芝生の上を楽しそうに走り回る子どもたちも、
沢山いて、元気をたっぷりと頂きました。


右半分写真の奥に見えるのは、インドアアリーナ。
11/3に訪れた際は乗馬体験の会場。馬に乗りました。


馬の背中は思っている以上に大きくて、
跨ぐのにひと苦労(笑。身体が硬いのです)。


二度目の乗馬でしたが、通常の乗り方は天神乗り。
競馬の騎手の乗り方は、モンキー乗りと言います。


あの乗り方で最高約60kmの速度の中を、
一瞬一瞬、状況判断をしながら他馬と競り合う…
競馬の騎手の凄さを、改めて思い知ります。



優勝馬と騎手がセレモニーを兼ねて、
場内を一周した際、騎手がカメラ目線。
有り難うございます。


今回は競技中の落馬こそなかったものの、
障害飛越を拒否する馬が何頭かいました。
(競技中に二度の拒否があると失格)


馬術は競馬と違った面白さがありますが、
どちらも共通しているのは「人馬一体」。
それがびしっと嵌った姿は、一言で素敵。


違いがあるとしたら、場内の雰囲気。
馬術は結果が思わしくなかったとしても、
惜しみない拍手が自然と沸き起こります。


競馬場には久しく行っていないので、
今はわかりませんが、負けた馬と騎手に対して、
野次が飛ぶなど、当たり前の光景でした。


(そんな自分は元博打打ち(笑)。
心ない野次を飛ばす人間は、
容赦なく睨み付けていました)



馬事公苑を後にして、ごみ拾いを再開。
日も長くなったし、5/6まで四日連続だしと、
無理することなく、砧公園でも休憩。


公園の北側に世田谷清掃工場があります。
住所は世田谷区大蔵1-1-1。
まさに一丁目の一番地(笑)。


世田谷区内には二つの清掃工場があって、
もう一つは千歳清掃工場。
どちらも可燃ごみの焼却を行っています。


自分の地元は世田谷清掃工場が、
担当して下さっていると思います。
とても有り難いことです。


左・可燃ごみ
右・びん・缶・ペットボトル・不燃ごみ


ごみ袋の中身


2023/12/10の結果
(当時の対象は可燃ごみのみ)



間隔が空いたのもあってか、前回より多めでした。
ただ馬事公苑周辺は前回同様、ごみが少なかった。
どなたかが廻って下さっているでしょう。


この世に人間が存在する限り、ごみはなくならない。
責任を持って、ごみを処理処分するのは然るべき。


SDGsなるものは、自分には関係ない。
綺麗事を並べたところで、ごみは減らないし、
なくなることもないからです。


プラスチック製のストローを紙製にしても、
道端にポイ捨てするようでは、本末転倒。
素材以前に個々の意識次第ではないでしょうか。

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